【対談】京都精華大学 ウスビ・サコ学長×立教大学 西原 廉太総長
立教大学
2021/11/24
RIKKYO GLOBAL
OVERVIEW
アフリカ出身者で初めて日本の大学の学長となった京都精華大学のウスビ・サコ学長と、2021年に立教大学総長に就任した西原総長。時期は違えど同じ京都大学工学部で学んだ二人は対談で学生時代の話題に加えて、大学運営や日本の教育の課題、グローバル教育など、多彩なテーマについて語り合いました。ここではその一部をご紹介します。
安心して迷惑をかけ合うコミュニティ(サコ学長)
立教大学 西原 廉太総長
西原 私が京都出身ということもあり、京都精華大学の学長に就任され、メディアにも頻繁に登場されているサコ先生に注目していました。書籍『アフリカ出身 サコ学長、日本を語る』(朝日新聞出版)を繰り返し拝読し、大学運営をはじめさまざまな点で学ばせていただいています。今回、初めてお会いし、対談の機会をいただきうれしく思います。
サコ 本日はよろしくお願いいたします。
西原 私は学生時代、京都の東九条という在日コリアンの方が多くお住まいの地域でボランティア活動を行っていました。鴨川の河原に建てられた、いわゆるバラック造りで、「人間の尊厳」や「一人ひとりの価値が大切にされる社会」といったことを身体で学びました。京都精華大学は「人間尊重」「自由自治」を理念として掲げ、サコ先生は2018年の学長就任時にいま一度、建学の理念を再確認されたうえで大学運営にあたっていらっしゃいますね。
サコ 昔とは社会状況が変わり、建学の理念からかけ離れた教育を行うケースも出てきていました。しかし、理念から逸脱してしまうと、その大学の存在意義とは一体何なのか、という思いがありました。私が学長に就任した時に、京都精華大学はちょうど創立50周年だったこともあり、初代学長が提示した「人間尊重」「自由自治」をうたった覚書を読み返したのです。すると、全く古びたものではなく、いまの時代にも通用する内容で驚きました。同時に「人間を尊重する」といった基本的なことがいまだに達成できていないと感じ、まずは自分たちの足元を固めることに注力しようと思ったのです。
西原 素晴らしい理念ですし、それをいまの時代に再確認するというのはとても大切なことですよね。
サコ 本日はよろしくお願いいたします。
西原 私は学生時代、京都の東九条という在日コリアンの方が多くお住まいの地域でボランティア活動を行っていました。鴨川の河原に建てられた、いわゆるバラック造りで、「人間の尊厳」や「一人ひとりの価値が大切にされる社会」といったことを身体で学びました。京都精華大学は「人間尊重」「自由自治」を理念として掲げ、サコ先生は2018年の学長就任時にいま一度、建学の理念を再確認されたうえで大学運営にあたっていらっしゃいますね。
サコ 昔とは社会状況が変わり、建学の理念からかけ離れた教育を行うケースも出てきていました。しかし、理念から逸脱してしまうと、その大学の存在意義とは一体何なのか、という思いがありました。私が学長に就任した時に、京都精華大学はちょうど創立50周年だったこともあり、初代学長が提示した「人間尊重」「自由自治」をうたった覚書を読み返したのです。すると、全く古びたものではなく、いまの時代にも通用する内容で驚きました。同時に「人間を尊重する」といった基本的なことがいまだに達成できていないと感じ、まずは自分たちの足元を固めることに注力しようと思ったのです。
西原 素晴らしい理念ですし、それをいまの時代に再確認するというのはとても大切なことですよね。
京都精華大学 ウスビ・サコ学長
サコ そのように大学を見つめ直した上で、「人間尊重」を重視して教育にあたると、学生たちは、より自信を持って社会と関わっていくようになるのです。京都での私の学生時代になりますが、社会との関わりという意味で一番楽しかったのは、自分が主体となって国際交流のグループを作ったこと。たくさん大学の多様な学生と交流したことで、それまで見えなかった京都という地域の魅力に触れるとともに、いろいろな学生と一緒に、いろいろなことができると気付いたんです。
西原 ご出身のマリ共和国でいう「グレン(GRIN)」のような関係ができたのですか?
サコ そうです。グレンについて説明しますと、もともとマリの男性には13歳くらいで割礼という通過儀礼があって、一緒に受けた10数人のグループはグレンと呼ばれ、「永遠の仲間」なんですよ。グレンの仲間は、あらゆることを語り合い、共に成長していく。迷惑をかけ合い、それを認めるコミュニティです。私は日本に来て、グレンに当たるものは何だろうと考えた時に、それが「大学」では形式的すぎると感じました。そこで、私の家に国際交流グループや当時所属していた研究室の仲間を集めて、一緒にご飯を食べたり、語り合ったりしながら人間関係を築いていったんです。
西原 グレン文化で魅力に感じたのが、表面的な仲良しではないということです。日本の、迷惑をかけない、空気を読む、といった文化とは違って、本音を言い合える、時には衝突もする。お互いを認めているからこそ本音でぶつかることができるんですね。日本の学生にもグレンのようなコミュニティが必要だと感じます。
サコ 学生時代にできた人間関係はずっと生きていて、いまも安心して迷惑をかけ合っています。
西原 ご出身のマリ共和国でいう「グレン(GRIN)」のような関係ができたのですか?
サコ そうです。グレンについて説明しますと、もともとマリの男性には13歳くらいで割礼という通過儀礼があって、一緒に受けた10数人のグループはグレンと呼ばれ、「永遠の仲間」なんですよ。グレンの仲間は、あらゆることを語り合い、共に成長していく。迷惑をかけ合い、それを認めるコミュニティです。私は日本に来て、グレンに当たるものは何だろうと考えた時に、それが「大学」では形式的すぎると感じました。そこで、私の家に国際交流グループや当時所属していた研究室の仲間を集めて、一緒にご飯を食べたり、語り合ったりしながら人間関係を築いていったんです。
西原 グレン文化で魅力に感じたのが、表面的な仲良しではないということです。日本の、迷惑をかけない、空気を読む、といった文化とは違って、本音を言い合える、時には衝突もする。お互いを認めているからこそ本音でぶつかることができるんですね。日本の学生にもグレンのようなコミュニティが必要だと感じます。
サコ 学生時代にできた人間関係はずっと生きていて、いまも安心して迷惑をかけ合っています。
目標を設定してあげるのではなく、学生が学びながら目標を見つけることが大切(サコ学長)
西原 先生の書籍の中で感銘を受けたのが、学長就任後、初めての入学式でのあいさつに際して書かれた一節です。「彼らに伝えたかった。私はあなたたちの『上』に来たのではなく、4年間を一緒に歩もうと思っているということ、そして人間として関わり合いたいのだということを。学生はお客さんでもなければ商品でもない。私にとって家族なのだ」。これはまさしく、私が立教大学の総長になって何よりも学生たちに伝えたくて、なかなか言葉にならなかったことです。教育は、学生一人ひとりの豊かさや可能性をいかに引き出せるかが大切です。サコ先生は、日本の大学教育にとって極めて重要なことを発信してくださっていると思います。
サコ 我々も学生のことを信じきれていない可能性があります。しかし、学生に任せてみれば、彼ら・彼女らは結構いろいろなことができるんですね。目標を設定してあげるのではなく、学生が学びながら目標を見つけることが大切です。いまは教員が心配しすぎている気がします。そこには多分、「4年間で学生を就職させなければならない」という思いがあるのでしょうね。社会全体が急いでいるように感じます。
西原 日本の社会にどっぷり浸かっていると、これが当たり前になってしまっていることを実感します。おそらく学生たちも大学を選ぶ際に、就職率やネームバリュー、偏差値を重視して、「何を学びたいか」「どう生きたいか」といった部分に目を向けない学生が多いように感じます。サコ先生の言葉を聞くと、忘れかけていた原点を思い起こされます。
サコ 我々も学生のことを信じきれていない可能性があります。しかし、学生に任せてみれば、彼ら・彼女らは結構いろいろなことができるんですね。目標を設定してあげるのではなく、学生が学びながら目標を見つけることが大切です。いまは教員が心配しすぎている気がします。そこには多分、「4年間で学生を就職させなければならない」という思いがあるのでしょうね。社会全体が急いでいるように感じます。
西原 日本の社会にどっぷり浸かっていると、これが当たり前になってしまっていることを実感します。おそらく学生たちも大学を選ぶ際に、就職率やネームバリュー、偏差値を重視して、「何を学びたいか」「どう生きたいか」といった部分に目を向けない学生が多いように感じます。サコ先生の言葉を聞くと、忘れかけていた原点を思い起こされます。
一つの価値観では計れない豊かさが一人ひとりの学生にある(西原総長)
サコ 京都精華大学は芸術系の学部を持つ大学ですが、いま芸術系の大学は他大学と競争すべきではないと私は考えます。まだ芸術の価値が社会に広く認知されていないと感じますし、そうした段階ではもっと芸術系の大学が協力し、一丸となって芸術の価値を広めるべきではないかと。日本の大学全体を見ても、小さな枠の中で競争しているように感じてしまいますね。
西原 就職率や国際性などのランキング指標は、それはそれで大事だと思います。しかしもっと重要なのは、一人ひとりの学生を信頼して、学生の価値をいかに光らせるか、というところ。それぞれの大学の豊かさを生かして、連携しながら大学全体で学生を育てていく方向に舵を切るべきではないでしょうか。また、これもサコ先生の書籍の一節ですが、「日本は『使える人間』をつくるための教育制度が中心になっているようだが、それは、『本人が満足できる人生を送る』という教育とは全く異なるものである」。これも大切なメッセージだと思います。
サコ 好き勝手な意見を言わせてもらっていますが(笑)。
西原 サコ先生はこうもおっしゃっています。「教育は何のためにあるのかというと、個人を幸せにするためである。幸せとは何か。その基準は、それぞれの国や地域、民族、個人によって違い、そこには決まった概念もイメージも、正解もない」。これも重要ですよね。幸せの概念を画一化するのはおかしい話で、いま「ダイバーシティ」「インクルージョン」といった言葉が多用されていますが、そこで言われている「ダイバーシティ」とは何なのかと気になります。
サコ 怖いのは「ダイバーシティ」も形式化されてしまうこと。日本は何でもフォーマット化しないと安心しない傾向がありますよね。フォーマット的な部分はあってもいいんです。しかし、それ以外の部分で余裕のあるところを残しておかないといけないと思います。
西原 マニュアル化すると楽ですよね。そして工場のようにラインを流しておけばそれなりの製品ができる。しかし、それは決して教育ではありません。いま大学に対して「強い人材、勝てる人材を育ててほしい」という風潮がありますが、一つの価値観では計れない豊かさが一人ひとりの学生にあるはずです。
サコ そのとおりですね。一人ひとり違う生き方を認めることが重要です。
西原 就職率や国際性などのランキング指標は、それはそれで大事だと思います。しかしもっと重要なのは、一人ひとりの学生を信頼して、学生の価値をいかに光らせるか、というところ。それぞれの大学の豊かさを生かして、連携しながら大学全体で学生を育てていく方向に舵を切るべきではないでしょうか。また、これもサコ先生の書籍の一節ですが、「日本は『使える人間』をつくるための教育制度が中心になっているようだが、それは、『本人が満足できる人生を送る』という教育とは全く異なるものである」。これも大切なメッセージだと思います。
サコ 好き勝手な意見を言わせてもらっていますが(笑)。
西原 サコ先生はこうもおっしゃっています。「教育は何のためにあるのかというと、個人を幸せにするためである。幸せとは何か。その基準は、それぞれの国や地域、民族、個人によって違い、そこには決まった概念もイメージも、正解もない」。これも重要ですよね。幸せの概念を画一化するのはおかしい話で、いま「ダイバーシティ」「インクルージョン」といった言葉が多用されていますが、そこで言われている「ダイバーシティ」とは何なのかと気になります。
サコ 怖いのは「ダイバーシティ」も形式化されてしまうこと。日本は何でもフォーマット化しないと安心しない傾向がありますよね。フォーマット的な部分はあってもいいんです。しかし、それ以外の部分で余裕のあるところを残しておかないといけないと思います。
西原 マニュアル化すると楽ですよね。そして工場のようにラインを流しておけばそれなりの製品ができる。しかし、それは決して教育ではありません。いま大学に対して「強い人材、勝てる人材を育ててほしい」という風潮がありますが、一つの価値観では計れない豊かさが一人ひとりの学生にあるはずです。
サコ そのとおりですね。一人ひとり違う生き方を認めることが重要です。
学生たちが生き生きと過ごし、笑顔が輝く場を作る(西原総長)
西原 多様性の大切さは、グローバル教育にも言えることですね。サコ先生は書籍の中で、これから必要になってくるグローバル教育は「各国の地域の文化を認識し、お互いの知恵をシェアするための教育だ」と主張されています。そして、インドのスラムを例に挙げ、「『スラムかわいそうだね』ではなく、『よくこんなところで人が寝ているな、よく食べる場所を作れているな、一体どうやって』ということではないか。これこそが、グローバル教育である。違った視点を持つことで得られる知見があるのだ」とおっしゃっています。
サコ この背景には、学生をインドのスラムに連れて行った経験があるのですが、現地での居住空間は我々が勉強する近代建築の基準だとあり得ないんです。しかし、逆に我々が思いつかないような構造で作られている。そうした「知恵」に学ぶことは重要です。
西原 また、グローバル化の話で「日本はグローバル化の波に乗ろうとしているが、では外国人留学生や外国人労働者に対して、どのような感情を持っているだろう」とおっしゃっていますが、厳しい問いですよね。そこで主張されているのは「外国人労働者には、働くための最低限の日本語と日本文化を簡単に教えればいい、という見方がある。けれど、労働力だけがやってくることなどありえない。労働力を持っている人間は、文化を持っている。宗教を持っている。価値観を持っている。心を持っている」ということ。この視点はぜひ、立教大学の学生や教職員とも共有したいと思っています。
サコ 京都精華大学の新入生のウェルカムパーティで、ある中国人留学生と話したのですが、彼女はハンガリー生まれでイタリア育ち、言語も5カ国語話せるんですね。私たちは海外から来た留学生を弱い存在と見なしがちですが、彼ら・彼女らのほうが世界をたくさん見ていて、広い視野と強い意思を持っているケースがある。「外国人留学生」という「マス」で見なすのはやめて、一人ひとりが違うということを強く認識しなくてはなりません。
西原 やはり基本としては、多様性やさまざまな価値観を大切にして、学生一人ひとりを信頼し、それぞれの自由と幸せを実現できるようにサポートする、ということですね。簡単ではありませんが、学生たちが生き生きと過ごし、笑顔が輝く、そういう「場」を生み出すことができるのが大学人としての喜びです。それを忘れずに今後も大学運営にあたっていきたいと思います。本日は本当にありがとうございました。
サコ 楽しかったです。ありがとうございました。
サコ この背景には、学生をインドのスラムに連れて行った経験があるのですが、現地での居住空間は我々が勉強する近代建築の基準だとあり得ないんです。しかし、逆に我々が思いつかないような構造で作られている。そうした「知恵」に学ぶことは重要です。
西原 また、グローバル化の話で「日本はグローバル化の波に乗ろうとしているが、では外国人留学生や外国人労働者に対して、どのような感情を持っているだろう」とおっしゃっていますが、厳しい問いですよね。そこで主張されているのは「外国人労働者には、働くための最低限の日本語と日本文化を簡単に教えればいい、という見方がある。けれど、労働力だけがやってくることなどありえない。労働力を持っている人間は、文化を持っている。宗教を持っている。価値観を持っている。心を持っている」ということ。この視点はぜひ、立教大学の学生や教職員とも共有したいと思っています。
サコ 京都精華大学の新入生のウェルカムパーティで、ある中国人留学生と話したのですが、彼女はハンガリー生まれでイタリア育ち、言語も5カ国語話せるんですね。私たちは海外から来た留学生を弱い存在と見なしがちですが、彼ら・彼女らのほうが世界をたくさん見ていて、広い視野と強い意思を持っているケースがある。「外国人留学生」という「マス」で見なすのはやめて、一人ひとりが違うということを強く認識しなくてはなりません。
西原 やはり基本としては、多様性やさまざまな価値観を大切にして、学生一人ひとりを信頼し、それぞれの自由と幸せを実現できるようにサポートする、ということですね。簡単ではありませんが、学生たちが生き生きと過ごし、笑顔が輝く、そういう「場」を生み出すことができるのが大学人としての喜びです。それを忘れずに今後も大学運営にあたっていきたいと思います。本日は本当にありがとうございました。
サコ 楽しかったです。ありがとうございました。
プロフィール
京都精華大学 学長 ウスビ・サコ
マリ共和国で生まれ、中国・北京語言大学、南京東南大学を経て来日。2001年より京都精華大学人文学部講師に着任し、2013年同教授、2018年より現職。バンバラ語、英語、フランス語、中国語、関西弁を操るマルチリンガル。『空間人類学』をテーマに、学生とともに京都のコミュニティの変容を調査したり、マリの共同住宅のライフスタイルを探るなど、国や地域によって異なる環境やコミュニティと空間のリアルな関係を研究。暮らしの身近な視点から、多様な価値観を認めあう社会のありかたを提唱している。
立教大学 総長 西原 廉太
1962年8月26日京都府生まれ。1998年立教大学文学部キリスト教学科専任講師に着任し、同助教授を経て、2007年教授。2021年より現職。博士(神学)。専攻は、アングリカニズム、エキュメニズム、組織神学、現代神学。研究テーマは、16世紀英国宗教改革の神学を端緒に、時代を超えて通底するアングリカン神学のダイナミズム。著書に『聖公会が大切にしてきたもの』(教文館)ほか。キリスト教学校教育同盟第28代理事長。世界聖公会大学連合会(CUAC)理事。
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