旅をすることで、こころにどんな作用がありますか?

現代心理学部心理学科 応用社会心理学 小口 孝司 教授

2018/05/08

研究活動と教授陣

OVERVIEW

IT化にグローバル化と、既存の価値観がめまぐるしく変動する現代社会では、人々のストレスは高まっているように見える。社会を元気にしていくにはどうしたらよいだろうか。

小口 孝司 教授

観光心理学を中心とした応用社会心理学を専門とする小口孝司先生が取り組んでいるのが、観光(旅行)によってストレスの低減や活力や創造性の向上などが図れないか、という研究だ。

小口先生がこの研究に本格的に取り組むきっかけになったのは、熊本県黒川温泉へのフィールド調査だった。黒川温泉は、大分県との県境に近い不便な場所に位置し、30軒の宿しかないが、全国屈指の人気温泉地として知られる。温泉街全体があたかも一つの宿のようで、道路は廊下、各旅館は客室のような雰囲気だと評されている。

小口先生は現地を訪れ、黒川温泉隆盛の立役者として知られる後藤哲也氏(2018年1月逝去)の取り組みに感銘を受けたという。

「後藤さんは感度が高い女性客グループの会話をそれとなく聞いて、今何が求められるのかを掴みました。疲れている現代の人を癒すことだと。そのために、ご自身の旅館を変えていきました。裏山にノミで掘り抜いた洞窟風呂を作ったり、雑木に囲まれた露天風呂を設けたり。自然の中にいる雰囲気を作っていったのです。そして、その雰囲気を黒川全体に広げていったのです。このやり方は社会心理学の手法そのものですが、後藤さんは社会心理学を学ばれたことは全くなかったので驚きました。実際、訪れた人は本当に癒やされて、リピーターになる。このことは、その後の私の研究に大きな影響を与えました」

今回のブランディング事業での研究は、博士研究員の川久保淳氏とともに行っている。

気持ちを癒やすメンタル・ツーリズムから プラスを高めるポジティブ・ツーリズムへ。

木々が美しくキャンパスを彩る。「緑のある風景がいいですね」と小口先生。

その経験から着想を得たのが、旅で人々の心を癒やすという「メンタルヘルス・ツーリズム」の考えだ。これは、マイナス方向に下がった精神状態を、旅の体験によって普通の状態へ戻していくというもの。実際、千葉県鴨川での農作業や、タラソテラピー(海洋療法)の体験で検証したところ、ストレスを低減する一定の効果があることがわかった。

その上で、旅はマイナスの状態をゼロに戻す効果だけではなく、プラスの方向にしていく効果もあるのではないかと考えた。旅によって、人は以前よりもアクティブになったり、創造力を発揮できたりするかもしれない——。そうして生まれた言葉が、ツーリズム研究(メンタルヘルス・ツーリズム)とポジティブ心理学を融合させた「ポジティブ・ツーリズム」だ。

心地よい空間について、 心理学的な側面からも分析します。

「観光研究の個人的な原点は日本の清流です。出身地の長野で親しんだ清流や、身体が弱っていた時に心身を癒やされた愛媛の清流との出会いが出発点ですね」

今回のブランディング事業では、このメンタルヘルス・ツーリズム及びポジティブ・ツーリズムの理論を、現実の社会に適用し、活用することを目指している。理学部との融合研究により、ストレスがかかった際に分泌されるコルチゾールや炎症反応を調べ、データに基づいたより確かな検証とするのだ。

山梨市にある宿泊施設「健保農園ホテル フフ山梨」に委託して行っている研究もその一つ。ここはメンタルヘルス・ツーリズムを実践している施設で、森林浴やヨガ、農作業などが組み込まれたプログラムを受けることで、参加者がどれだけリフレッシュできるかを測定する。

「やり方としては、調査票による自己報告と、唾液検体及び手の指に赤外線を当てて血液の流量の変化を測ることから得られる指先脈派から自律神経系活動を推定する客観的指標を組み合わせます。この施設で実践するアクティビティによって、利用者のこころや体内にどういう変化が起きているのか、客観的に分析するのです」

また、人が心地よさを感じる視覚的形状・形態についての基礎研究も行っている。

「人は直線図形を見ていると、疲れたりイライラしたりするという結果が出ているんです。現代では人が生活する空間は直線で囲まれていることが多いですよね。ところが、山にせよ、岩にせよ、自然のものは直線ではないでしょう?だからこそ人は自然の中でリラックスできるのだと思います。宿泊施設や温浴施設なども、建築物の形態を考慮することで、メンタルヘルスへの効果が期待できるのではないかと考えています」

観光という切り口から、 活き活きとした社会の実現を目指したい。

ポジティブ・ツーリズムの適用領域は、個人、集団、組織の全てに及ぶ。研究範囲も個人旅行から家族旅行、修学旅行、企業の研修旅行など、実に多彩。学生時代の旅行経験の有無と人事評価や年収との関係を調べたりするなど、ユニークな切り口の検証も多い。H.I.S.などの企業ともコラボレーションしながら、立体的な研究を進めている。

これらの研究が目指しているゴールとはどういうものだろう?

「個々の研究も大切ですが、ポジティブ・ツーリズム研究の最終的な目標は、社会を変えること。誰もが活き活きとするような、希望と活力のある社会に少しでも変えていきたいという想いがあります。日本は国土の7割が森林で、清流もあり、温泉もある。メンタルヘルスを向上させる資源に恵まれている国です。これは、海外の方にもアピールできます。活用しない手はないですよね」

小口先生はそう力強く語り、視線を高い方向へ移した。

プロフィール

Profile

小口 孝司

現代心理学部心理学科教授

東京大学大学院社会学研究科社会心理学専攻博士課程修了。博士(社会学)。立教大学(社会学部)、日本労働研究機構、昭和女子大学、千葉大学を経て、立教大学現代心理学部心理学科教授。ジェームス・クック大学客員教授、バデュー大学客員研究員を歴任。主な著書として、『仕事のスキル』『社会心理学の基礎と応用』『観光の社会心理学』『よく分かる社会心理学』等がある。The Journal of Travel & Tourism Marketing等のEditor、日本観光研究学会常務理事等を務めている。

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